のぼりに助けられる

古い人間だからかもしれませんが、あらゆるところで「のぼり」を見ると安心してしまうのは私だけなのかもしれませんが、山に子供と遊びに行った時も、また山を登りに行った時も、休憩するところでのぼりの旗が立っているのを見ると、昔の記憶がよみがえってくるようで懐かしくもあるわけですが、私は、北海道の山奥で育ちましたので、もともと山を登るのが好きでもあり、当たり前の事として遊んでいましたが、先日、友人を誘って一緒に山を登ることにしたわけですが、その山と言うのもまっすぐな道がほとんどなく、急な坂を登らなくてはいけなかったため、結構体力的には疲れるコースでした。

真夏と言うこともありましたし、そんなに高い山ではなかったので、山をのぼる格好はカジュアルなものでして、ジーパンに長袖の服をまとい、山を登る用の靴と言う関ですが、他の方の服装を見ていると、しっかりと着込んでいましたし、杖を持って登っている方など見かけますけど、そして、それが正しい服装なのでしょうが、小さいころから山登りをするために大袈裟な格好をする事もなかったので、普段着で登山に挑むわけですが、年のせいでしょうか最近は体力がなくてすぐにばててしまいます。

そんな時、目の前に喫茶店らしきのぼりを目にすることになり、喉も乾いていたので休憩する事にし、のぼりの立っているところを目印に100メートル先まで行ったのですが、丁度甘いものを摂取したくもあったので、嬉しさのあまりに歩くペースもあがり、人間の底力を知らしめてやったわけですが、そこの喫茶店で30分ぐらい休憩していました。

象徴的なのぼり

のぼりのある休憩所の店内に入ると、非常に涼しくなっており、軽食や自動販売機など、体力を付けるための食事をすることができ、私はとにかく喉が渇いていたこともあって、お茶を一気に飲み干してしまい、なんと言うか天国の気分を味わった気持ちになりました。

山を登っている時に、この店の「のぼり」を見かけたときは、本当に救いの神とても言いますか、わたしの精神状態を安定させて、また登ろうという気持ちにさせてくれました。

町中では当然のように見かけるのぼりも、山中に設置してあるだけで、風情もそうですが有難味と言うものを初めて感じる事にもなり、例えば、遭難しかけた人などがのぼりを見つけた事を考えると、それほど嬉しい事はないでしょうし、生きる力にもなるのです。

まさかこんなに有難いと思うとは自分でも思っていませんでしたが、きっと人生において最初で最後かもしれませんが、その喜びを忘れないように世性を楽しみたいと思います。

自然の中で調和しているのぼりと言うのは素晴らしい事でして、私が生まれる前から使用されているものですから、よほど重宝されて意味深いものがあるのでしょうし、これほどまでに長年にわたって受け継がれている商売がない事を考えるととんでもない事です。

江戸時代の頃から、商人と言うのは本当に頭を使って、どのようにすれば人の目を引きつけて、どうすれば商品が売れるかを考えていたのだと、頭が下がる思いになります。

そんなのぼりは、きっと利便性に優れている日本を象徴するものであると考えます。